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2004年 05月 02日
一緒に平和について考えましょう!
なんか言いながら、手を差し伸べられたりしたら、誰もがきっと退くだろう。 「関係ない」とは言わない。けど日本は平和、つうかとりあえず自分は既に充分平和だし。 それに戦争はイカンとは思うけど、何やっても変らない。 平和運動なんて「左翼」のすることだし。 それに、とにかく毎日忙しくて、何か特別なことをする時間はとても作れそうにない。 「政治」につながっていきそうなことへの曖昧な忌避感。 面倒クサさ。 ウザッタさ。 「流れに組み込まれる」ことへの嫌悪感。 または 「よくわかりません」 あるいは 「そ~ゆうのはウチは間に合ってますから」 実際に何らかの活動を通して、平和の実現に貢献しようとしている人たち、あるいは真剣に考えて自分の選挙権を行使する人たちからみれば、そんな言い訳が戦争や飢餓や差別の解消の大きな障害になっているに違いない。 敢えて極言すれば、そうした言い訳が、N.Y.9.11の悲劇を、そしてその後のアフガン侵攻を、パレスチナの混迷を、ファルージャでの虐殺を、「黙認」という形でバックアップしている。 政治的なことを厭う感情。 それは、この国で最終的な政治の季節の終わりが始まった1972年以降の、普通の人々の、普通の感覚なんだと思う。 『この運動の正しさがわからないの?』 『なんで賛同しないの?』 そんなふうに迫ってくる「正しいこと」は怖い。少なくとも私は関わり合いたくない。 「正しいこと」を迫った結果として、政治の季節は「総括」を求め、その後の十数年間を「粛清」に費やし、やがて終焉を迎えたのだ。 絶対に正しいことなど、絶対に存在しない。正義は相対的な価値でしかない。 胸に秘めた正義はあっても、他に犠牲を強いる大儀など存在しない。 つまり、 この戦争に大儀がなかったのではなく、全ての戦争に大儀などないのだ。
by kazzVaporTrail
| 2004-05-02 04:07
| 憲法と平和
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