by kazzVaporTrail カテゴリ
最新のトラックバック
フォロー中のブログ
廃園の秋
我ふと思ふ Bra-net 象牙の塔 帰ってきた(のか?)愛の... 美味いモン食べて,イイ研... 食べる・聴く Arabian Nigh... barry雑言 今日の戯言・昨日の譫言 不平屋のつぶやき (´・... 闘うリベラルのチャンネル... 選挙へ行こう! いしがめのじだんだ -No War- Dea... ネットは新聞を殺すのかblog 古川利明の同時代ウォッチング 俺は音楽家!~I AM ... 政態観察ブログ版 JIROの独断的日記エキ... ブログ時評 リンク
管理人のHP
K's OBAKA Research Institute パートナーのフォト日記 As Time Goes By Webジャーナリズム 歌田明弘の『地球村の事件簿』 APN 田中宇の国際ニュース解説 TUP-Bulletin Peace Weblog JANJAN 外部ブログリンク とうごサンの独り言 反米嫌日戦線(LIVE and... 数学屋のメガネ Passing Strangers バルタザールどこへゆく dragon-tail 低気温のエクスタシー... PWPブログ 平和はお好きですか?... 星ひとつ(爆) 検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2004年 04月 22日
『鬼の心理分析は面白いけど、なかなか現実には役に立たない』というご指摘を頂いた。
その通りです(笑) 鬼達との対話が不可能な以上、これは分析のための分析という穴に落ち込んでしまう危険もありますから。 では何故、私は鬼達の精神構造を分析するのか? この分析の試みは、鬼達に向けたものではありません。鬼に鬼といったところで、それは確かに無駄なことですから。 これは、私のパートナーも含めて(笑)、心優しいブロガーたちが、鬼の撒き散らすネガティブな力に傷付かないで欲しい、そんなメッセージとして書いています。もちろん、心優しいブロガーのみなさんは、同時に賢明な方達ですから、無視していればいいということはご存知のはず。けれども、鬼達の文章を読むと気分が悪くなったり、あるいはレッテル貼りされることで憤慨され、果ては身の細る思いをされたり…。無神経で思慮の浅い者達の言葉に、優しく賢明な者が傷付くなんて、納得いかないでしょ? 鬼達がどうして鬼なのか?その精神構造を分析することで、つまり逆に、ある類型として捉えることで、多少なりとも溜飲を下げてもらえたら、ということなのです。 鬼たちに説明をする必要はない 鬼達が投げてよこすのは、正当な意見や反論ではありません。ただケチをつけているだけ。論旨と無関係な部分で揚げ足をとり、話の流れの主導権を握ろうとします。話の中身に興味を持ってはいない(知識はあるが)ので、実りのある議論にはなりません。 さらに言えば、理論自体無いようなものです。 彼、彼女らにも当然、発言の権利はありますが、だからといって私達がそれをまじめに受け止めねばならないという義務はありません。なぜなら、鬼達の興味は常に自分。自分が優位にあることに執着しているだけなのですから。 なぜそんなに優位にあることに執着するのか?可哀想といえば可哀想なのですが、独自の個性を獲得せずに大人になってしまったからです。そんな自分に不安と不満を抱えているので、鬼は「力」にしか価値を見出せません。力の象徴である体制が、唯一の庇護者。 したがって、その優位性も自ら思索した末に得たものではなく、自分を体制の側に置くことで得た気になっているものです。 レッテル貼りをされても気にする必要は無い 自分の頭で考えた理論も無く(ただし口は良くまわる)何かを批判するには、レッテル貼りという呪文が必要です。鬼は自分を体制の側に属する人間と規定しているわけですから、そのレッテルは常に「左翼」「共産党」「アカ」などで、せいぜい気の利いたところで「アナキスト」です(笑)。太平洋戦争中の特高もビックリです。 例えば、私は読売や産経を、政府の提灯持ち、広報紙、などと呼びます(笑)が、これは事実なのでレッテル貼りではありません。同じように鬼達は朝日や毎日を左翼と呼びますが、両紙で革命を呼びかけている記事など、読んだこと無いでしょう?事実無根、ただのレッテル貼りです。 つまり鬼達は、多少なりとも体制に批判的な意見を述べる者には、左翼というレッテルを、とりあえず貼るのです。民主主義国のルールでは、国民が国家の基礎であり、国民は自由に体制を批判する権利を持っています。 が、鬼達は自らを体制になぞらえているので、体制批判がそのまま自分を批判されたように感じるのです。自分を批判するものに、レッテルを貼ることで不安から逃れようとしているわけです。 体制批判=体制の敵=自分の敵=左翼 こんな幼稚なレッテル貼りにムっとしてはいけません。どうしても一言返したい時には、ノンセクトラジカルですが、何か?ぐらい言ってやりましょう。 硬いオシメをしていた鬼達 以前そんなCMがありましたね。鬼が力のみを拠り所とする背景は、案外そんなところかもしれません。 悪さをしたときに、『自分がされて嫌なことはひとにもしてはいけないよ』『人に迷惑になるからやめなさい』と窘められたのではなく、『そんなことしてると怖い人に怒られるよ』と脅されて育てられたのかな?と。 口で言って判らない者には体で判らせる=説得ではなく屈服を強要する論理 とか、 イジメられる側にも問題がある=加害者を放置して被害者のあら捜し とか、 私はそれらも同じ根っこから派生しているように思えてならないのです。そういう力の論理に固められた既成概念の殻を、鬼が自力で破ってくれない限り対話はできないのでしょう。そんな鬼達の発する心無い言葉に、みなさんが傷付くことのないように、彼、彼女らは同情すべきアホどもであると、とりあえず逆レッテルを貼っときましょう。 あ、やっぱりなんの解決にもならないか(笑)
by kazzVaporTrail
| 2004-04-22 00:49
| その外のあれこれ
|
ファン申請 |
||