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2005年 01月 01日
昨日と同じ毎日が続く今日を迎えたというだけのことだ。ましてグレゴリオ暦で定められた正月。捻くれ者の私が、素直に「おめでとう」なんて言うわけもない。ただ、いつも私を支えてくれている最愛のパートナーに感謝。
ドアを開ければ目の前に2005年1月1日の富士山 ------------------------------------------------------------ 現地政府は警告を受けていなかったが、米国政府は受けた。そして、その情報を伝えなかった。インドネシア海岸沖で大規模なマグニチュード9.0の地震が起きてから数分以内には、米国海洋大気管理局(NOAA)の研究者は、壊滅的な波がインド洋に広がっていると考えていた。彼らは被災地域の政府の誰にも電話を入れなかった。...全文を読む 2004年はこんなふうにして幕を閉じた。 いつになったらこの捻くれ者の私が、手放しで「おめでとう」と言える新年がやってくるのだろう。 #
by kazzVaporTrail
| 2005-01-01 19:27
| その外のあれこれ
2004年 12月 14日
地に足がついているというのだろうか。
小難しい理屈で天下国家を語る男共のブログが、この閉塞した状況を嘆いてばかりいる(あ、それは私だけか!)のを尻目に、女性のブログでは日々の暮らしの中からの、平和へのアプローチが語られている。 tettyannさんのブログおにぎり的生活/ 「わたし言葉で憲法を」 ganesha22さんのブログ今日の戯言・昨日の譫言/私にできること 家庭での子供達との会話の中で、命をいとおしむことの意味を確認し合う。 今10歳の子供は、当たり前のことだけれど10年先には二十歳だ。いま15歳の子が二十歳になるのはたった5年先のこと。 一見それは遠回りのようだけれど、実はもっとも確実な平和への道ではないだろうか? #
by kazzVaporTrail
| 2004-12-14 10:54
| 憲法と平和
2004年 12月 09日
地裁決定を破棄、新鑑定「証拠価値低い」
大崎町井俣で1979(昭和54)年に起きた殺人・死体遺棄事件「大崎事件」で首謀者とされた原口アヤ子さん(77)=同町永吉=が、無実を訴え服役後に裁判のやり直しを求めた再審請求の即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部(岡村稔裁判長)は9日、再審開始を認めない決定を出した。 (南日本新聞12月9日)....記事全文 主犯格とされた原口さんは最高裁まで争ったが、81年に懲役10年が確定。 原口さんは獄中からも無罪を訴え続け、服役後の95年4月に、鹿児島地裁にえん罪を訴えて再審開始を求めた。 再審請求から約7年後の02年3月26日、鹿児島地裁笹野裁判長は再審開始を決定。これに対して鹿児島地検中島行博・次席検事は02年3月29日、福岡高裁宮崎支部へ即時抗告。 今回の再審棄却はこれにたいする福岡高裁宮崎支部の答えだ。 原口さんは既に10年の服役を終え、出所後さらに十数年の歳月が流れている。 「無実の罪を晴らすまでは死ねない」 原口さんの無念、悔しさは想像に余りある。 2日前の東京新聞には仮出獄から10年を迎えた狭山事件の石川一雄さんのインタヴュー記事が掲載されていた。 多くの冤罪事件が、共通の土壌の上に作られてきた。 1)予断と偏見に基づいた見込捜査 2)別件逮捕 3)代用監獄制度 4)自白偏重主義 5)警察と癒着した鑑定人 これらの冤罪を生む土壌の問題をマスメディアの責任と絡めながら、随時このブログで書いてゆくつもりでいる。 #
by kazzVaporTrail
| 2004-12-09 21:06
| マスメディア
2004年 12月 09日
当時大学一年だった私は、週に一度、出身高校の軽音楽部にOBとしてギターなどの指導に通っていた。
母校に向かう地下鉄の中、髪を伸ばし、薄汚れたジーンズを履いてギターケースを抱えていたからだろうか、見知らぬオジサンに『お兄ちゃん、ジョンレノン死んだって。撃たれたってよ。』と教えれられた。『スターティング・オーヴァー』によるジョンの復活にワクワクしていた私は、ただ呆然とするばかりだった。地下鉄の窓に映る自分の姿だけが、今でも目に焼き付いている。 リアルタイムでのビートルズには完全に乗り遅れた世代。なのに小学校6年から中学にかけての頃に、ちょっとしたブームがあったのは『ビートルズがやってくるヤァ!ヤァ!ヤァ!』がテレビで放映されたり、TVドラマ『時間ですよ!』のテーマに『ヘイ、ジュード』が使われたり、おそらく東芝EMIによるビートルズ結成10周年のキャンペーンがあったせいだろう。 ジョンの創るメロディは洗練されたポールのそれに比べると荒削りで、けれどあの独特の声に乗ることでストレートに胸に響く。クラスで7,8人いたビートルズファン(笑)の中でも、私は特にその声に惹かれてジョンの大ファンだった。 高校生になってビートルズを「卒業」し、ブリティッシュ・ハードロック、ディスコミュージック、R&Bを経て、大学1年当時、私はギターフュージョンにハマっていた。 5年ぶりに発表されたアルバム『ダブルファンタジー』。シングル『スターティング・オーヴァー』が久々にヒットチャートの上位に登場し、見事な復活を果たした矢先の出来事だった。 正直に告白してしまえば、小学校6年で初めて出会って以来、私は世間の言うように『イマジン』でジョンが愛と平和を訴えていると思っていた。そして音楽を通じ、またそれを超えて実際に平和のためのアピールとアクションを行っていたジョンを、尊敬してもいたが、同時にその政治的思想性の無さにどこか失望も感じていた。 ジョンが撃たれた80年。私は大学に入り、今思えば非常に穏健な(笑)デモに参加し、にもかかわらず初めてジェラルミンの盾で小突かれ、ステンレスの入った手甲で殴られた。国家権力の暴力装置、なんて古臭い言葉だが、一度でも経験すればそれが事実であるのはすぐにわかることだ。そんな世界とはかけ離れたところで響く『イマジン』は、平和のために戦う者から見ても『夢想家』の戯言に過ぎないではないか、と。 しかしこれを夢想家の戯言と感じる限り『War is over. If you want it.』は本来の意味を成さない。 そう、当時の私は『イマジン』をわかっていなかったのだ。少なくともジョンを『愛と平和』のカリスマに祀り上げた時点で、『イマジン』の世界は遠のいていってしまうことを理解していなかった。 自分をシフトすることで目の前に新しい世界を開くこと。 既成概念からの解脱。それは非常に困難なことだ。難しいけど、ちょっと視点をシフトすればいい。 ただ一人の人間として存在することを阻み、私達を色分けし、選別するあらゆる価値観から脱却する自由な視点を持つこと。 そうやって自分を唯一の大切な存在と識ること。 そもそも、こんな理屈からこそ自由になること(笑) #
by kazzVaporTrail
| 2004-12-09 00:21
| その外のあれこれ
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